「ば、たら、なら、と」的区别
1,ば表示前,后两项之间的理所当然的关系,即如果前项成立,必然地,合情合理地会出现后项的结果。
「あなたが行けば私もいく。」
同时意味着「あなたが行かなければ私も行かない。」
进一步加强这一“当然”之意的说法是「……さえ……ば」
「あなたさえ行けば、私も行く。」
2,如果前后两项都是表示动作的动词,从这两个动作发生的前后关系上看,基本是同时发生。因此,
如果明显是前一项动作必须是先发生的句子里,不能用ば
「ベルが鳴れば、教室を離れてもいい。」(不能用这种表达方式)
3,在表示后悔,遗憾等意的说法「……ば……のに」中,经常用ば,在这种情况下,虽然并非不能使
用其他表达条件的形式,但用ば被看作是惯用。
「もっと勉強していれば、こんな羽目になることもないのになあ。」
1,含有明显的“完成”之意,特别是前后两项都是表示动作的动词时,前项一定是先发生的。因此,在
前后两项明显是先后关系的句子中,必须用“たら”
前后两项或其中一项表示状态时,既可用“たら”也可用“ば”,尤其在口语中,经常用“たら”代替“ば”。
時間があったら(あれば)、調べておいてください。
暑かったら(暑ければ)、窓を開けてもいいよ。
2,在使用たら的句子中,前后两项之间不是必然的关系,而是偶然的关系。
3,在与后面的命令,劝诱,依赖等主观性表达形式相配合使用时,多用たら。
1,不是对动作的假定,而是对判断的假定,而且该判断不能是自己的判断,只能是对方的判断。
「(君が言うように)僕が間違っているなら、謝ります。」
「僕が行くつもりなら、彼もそのつもりです。」(誤)
2,所表示的条件之意较强,因此,对确凿的事实等不能用なら。
「冬になるなら、スキーに行く。」(误)
3,当前后两项都是表示动作的动词时,后项的动作先发生。
「転職するなら、必ずあなたに相談しますよ。」
1,表达假定条件时,前后两项是当然的关系,即只要具备了前项的条件,必然会出现后项的结果。因此,如果前后两项是偶然的关系时,不能用と。
2,有些句子中,条件的意义很弱,其实是确定的事实。而在条件的意义强的句子中,不能用と。
頂上に登り詰めると、小さな神社がある。
3,不与命令,劝诱,依赖等主观性的说法呼应使用。
「夏休みになると、家に遊びに来てください。」(误)
总结:
1,在表示恒常条件时,と、ば、たら都可用。
2,表示假定条件时,と的句末不能出现意志或命令等主观表现。当ば的前项是动作动词时,后项不能有意志表现。たら和なら没有这些限制。
3,たら、と后面可以是过去时,ば和なら在一般情况下,后项为现在时。
4,なら的后项动作先干,前项动作后干,此时不能用と、ば、たら替换。
5,前项和后项为同一主体的动作继起时,后项为过去时,这时只能用と,不能用ば、たら、なら。但当后项为命令、劝诱、请求等主观表现时,则只能用たら。
面对自己、日文版
「あんまり、やりたくないなあ」そう思いながらもやらなければいけないことが、世の中には、けっこうある。だけど、いやでも、本心じゃなくても、やってるのは自分。そして、それを選んでいるのも実は自分自身。
这个世上有很多不情愿却也不得不做的事。然而不心甘也好不情愿也罢,选择它并且去做的都是自己。
物事の殆どは選んだことの結果として、存在する。だから、今の状態が望んだものと違ったとしても、それを選択したのは、自分なんだよ。
凡事都是因为你的选择而存在,因此即便现在的处境,不是自己所期望的,但是选择它的却也是自己。
もし、今の状況が自分らしくないことの連続で、好きになれないなら、どうすれば、変えられるかを真剣に考えてみよう。そしないと問題はちっとも解決しない。
如果这种状态一直持续,让你无法活出真正的自己,让你无法真正愉悦自己的话,就有必要好好的想想该如何改变这种状态,否则将于事无补。
道はどこからでもいつからでも変えられる、だから「なんか、違うなあ」と感じているなら。とりあえずは、その問題とちゃんと向き合おう。そうすることが、まずは「選択」の第一步。なるべくなら、やりたいことを気持ちよくやれる毎日でいよう。
我们脚下的路无论何时无论从哪里开始都是可以改变的。所以当你开始不满于自己现在的状态的时候,首先就要好好的面对它,这样你才能迈出迈好“选择”的第一步。不管怎么说尽量选择自己喜欢的事情,以愉快的心情过好每一天。
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